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- 第3回 愛妻、愛犬との思い出、そして共通の楽しみ
愛妻、愛犬との思い出、そして共通の楽しみ
私が化石と出会い、その後現在まで化石とかかわってこられたのも、最愛の内縁の妻(故)築出ヒサエさんと愛犬チビちゃんの心からの応援があり、力を与えてくれたお蔭だからです。そんな彼女と私の出会いは今から30年前の1980年、同じ職場で過去に同じ傷を負うもの同士が意気投合したのがきっかけでした。彼女は私より6歳年上でしたが年齢差を少しも感じず、性格は温厚でお人好し、とても和風が似合う美人でした。
また彼女は山ではワラビやセリ、ウドやたら芽などの山菜、海では潮干狩りと自然大好きで、自然の恵みの食材での料理上手、チラシ寿司を始めとして美味しいものをたくさん味合わせてくれました。そしてまた知らない土地をあてなく旅することも大好きで、私と同じ感性を持ち合わせていました。そんな彼女だからこそ彼女が旅立つ2003年までの23年間、私の歩く道を共に歩んでくれたのです。
彼女とはじめてのデートは出会って間もない頃で、行き先不明のドライブから始まりました。ハンドルを握り行くあてなく走り始め、時間の経過と共に二人の思惑が合い急遽行き先が能登半島と決まり長距離ドライブとなったのです。私は特に深い海の色と吹き付ける風、飛び交う波の花、低く立ち込める雲、太古の世界を髣髴とさせる日本海が大好き、彼女といえばカニやエビ、貝などの海の幸、海の側まで山がせまった情緒ある風景に出会えるという楽しみがありました。この時は残念ながら化石の採集はしませんでしたが、彼女は大好な海岸や磯の探索、道路ぶちでの栗拾いなどを楽しみ、また珍味や美しい風景を見つけたら寄り道し、能登半島をゆっくり巡り徳島に帰ったときは一週間以上を経過していました。
そして彼女と生活を共に始め、最初の化石採集同行は県外では緑と白のコントラストが美しい秋吉台がある山口県の化石採集、県内では桑野町に聳え立つ石灰岩の山、層孔虫の採集でした。ここでは道なき山肌や雑木生え茂る中を掻き分け化石が採集できる頂上付近まで彼女は遅れることなくついてきて、本当に彼女は自然が好きなのだと確信できる日となりました。
その後、勝浦、上勝、上那賀と採集の同行は続き、勝浦町では急斜面を一時間以上かけていく産地で彼女が最初に見つけ手にとった化石が、日本では白亜紀の化石として初めての発見となったウミシダでした。
彼女と共に過ごした時間、私は元来化石探しの風来坊、生活のうえでは山あり谷ありで彼女は苦労の連続でした。そんな中で少しでも彼女に恩返しがしたく、彼女が一番喜ぶポメラニアンの子犬をプレゼントしました。その子犬が共に私たちと行動する愛娘(愛犬)のチビちゃんでした。チビちゃんが家族の一員となり、家族そろっての県内採集はもちろん継続、県外では香川県を始めとして兵庫県の昆虫化石や鳥取県の魚化石採集、そしてチビちゃんのための鳥取砂丘散策など共に行動しました。特に淡路の地野の海岸での化石探しにはチビちゃんの大活躍がありました。
ここの産地は化石を含む地層が海の中にあるため、海岸に打ち上げられたノジュールを見つけ出すのです。しかし多くの石が打ち上げられどれを見ても波の力で丸くなりノジュールを探し出すのに苦労します。彼女とチビちゃんは磯の貝など探していて、そんな中で彼女が丸い石を抱えて近寄ってきました。どうしたのと聞くとチビちゃんが鼻をすり寄せクンクンと匂っていた石で、気になり手にとって見てみると貝殻の断面が見えると言い届けてきたのです。早速ハンマーで断面に沿って打ち砕くと、中から綺麗なアンモナイトのゴードリセラスが出てきました。化石探索犬、チビちゃんの大活躍でした。
そんな愛犬も寿命15年といわれる中、1995年に11才と少し短命で旅立ってしまいましたが、彼女はチビちゃんが旅立ってもわが子のようにいつくしみ、生前のチビちゃんの写真を肌身離さず持って、種子島の化石採集と島巡り観光で一週間かけていきました。そこは私が好きな日本海とはまた違った開放的な海が広がっていました。島間海岸では大きく潮が引いた磯で私はホタテ化石の採集、彼女は食用のウニの採取に時間を忘れ熱中し、彼女の収穫はその夜民宿での夕食の食卓に並びました。
太古のロマンの化石と未来のロマンのロケット基地がある種子島、私と彼女の二人の人生において共通の思い出深い採集記となりました。
そしてチビちゃんが旅立った後の2003年1月、彼女は私を残して旅立ってしまいましたが、今は私が彼女とチビちゃんの写真を肌身離さず抱き、供養し、どこにでも一緒に同行しています。とにかく私も彼女も化石採集だけでなくそこに存在する自然や動植物を愛し、恵みの恩恵を味わいそして風土や情緒、珍味や名所などを充分楽しみ、思い出を積み重ね心豊かになったことに間違いありません。また彼女の応援と協力のお蔭で化石展も10年継続して続けることもできたし、私の化石人生の半生記を綴った自費出版本もできたのです。
今後また機会を見て化石展や自費出版本の話を掲載したく考えていますが、次回は化石友人の(故)高木正信さんについての話題を取り上げたく思います。