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三葉虫の大疑問・質問
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なんで「三葉虫」って名前なの?
三葉虫はトリロバイト(trilobite)と呼ばれます。triは「三」、lobeは「葉」、iteは「石」を意味しています。真上から見て縦に三つに割ると、葉っぱが3枚並んでいるように見えることが由来です。

三葉虫の研究の歴史は?
1771年に、ドイツ人自然科学者ヨハン・ヴァルヒ(Johann Walch)が「trilobite」と命名しました。研究の歴史はおよそ300年で、現在でも新種が発見されています。
三葉虫は虫なの?子孫はいないの?
三葉虫は節足動物で、昆虫や甲殻類の仲間です。現生ではカブトガニやカブトエビが近縁に見えますが、直接の子孫は残っていないと考えられています。
三葉虫の体の構造って?
頭部・胸部・尾板の3つに分けられます。

三葉虫エルラシア・キンギに見る、部位とその名称

眼は1個?2個?無い?
眼が1個の種、2個の種、無眼の種が存在しました。敵を見つけやすくするために眼が突き出た種や、深海に適応して眼が大きくなった種など、非常に多様です。三葉虫は地球で最初に眼をもった生物とされ、生物同士の捕食関係やカンブリア爆発の引き金になったとも考えられています。
視力はあったの?
方解石でできた美しい複眼は、色を認識できたかは不明ですが、近くの天敵を見分ける程度の視力はあったと考えられています。

三葉虫はどれくらいの種類がいたの?
10,000種類以上が存在していたと言われています。捕食方法や生息環境の違いにより、トゲ・眼・サイズなど多様な進化を遂げました。
最大サイズと最小サイズは?
最大で約70cmの化石標本が発見されています。最小の種は成体でも1cm以下で、平均的には5〜10cm程度のものが多いです。
雌雄の区別は?
あります。一般的に、雄のほうがやや大きかったと考えられています。
いつ、どこに住んでいたの?
古生代(約5億7500万〜2億4500万年前)に、世界中の海底を這うように生息していました。
何を食べていたの?
多くの三葉虫はプランクトンなどの有機物を食べていましたが、中には捕食性の種もいました。動物の死骸を食べることもあり、現在でいえばエビに近い食性です。ちなみに1998年、ドイツで開発された自動掃除ロボットは、地面を這い回りゴミを吸い込む姿が三葉虫に似ていることから「TRILOBITE」と名付けられ、三葉虫ファンの間では有名です。
三葉虫の赤ちゃんって?
生まれた直後は成体に近い形をしていましたが、頭部と尾部のみで構成されていました。成長にともない、胸部が発達していったと考えられています。
三葉虫はどんなふうに成長するの?
卵生で、脱皮を繰り返しながら成長しました。形が崩れたものや、外骨格の一部が破れた脱皮殻の化石も見つかっています。
天敵はどんな生物?
古生代に出現した魚類が主な天敵で、魚類やアノマロカリスにかじられた痕跡をもつ化石が多数発見されています。アノマロカリスの口の復元は、三葉虫の咬み痕をもとに行われています。

画像「アノマロカリス」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
どうやって天敵から身を守ったの?
海底の砂に潜り、潜水艦のように眼だけを出して周囲をうかがう種や、全身をトゲで覆って物理的に防御する種など、さまざまな防御戦略がありました。一部の種では体節を折りたたんで丸まり、腹部の内臓を守る行動も見られます。ドロトプス・アルマータスのように、全身を棘で覆い大きく体節を開く種は、棘だらけの球状になることができました。

三葉虫は泳ぐことはできたの?
体が流線型で平たく、防御姿勢をとれない種の中には、泳いでいたものもいたと考えられています。現生のカブトガニのように、ゆっくりと泳いでいたのかもしれません。
いつも背中ばかりだけど、お腹側はどうなってるの?
化石として残るのは主に外骨格(背中の殻)のみで、腹部や内臓は溶けて失われます。内部には周囲の母岩と同じ岩石が詰まっていることもあります。

腹側からクリーニングされたアサフス・コワレフスキー
よく聞くクチクラって何?
外骨格のことです。
よく聞くハイポストマって何?
三葉虫の口にあたる部分です。この部位が保存されていると、化石としての価値も高くなります。

クロタロセファルスに見られる、保存状態の良好なハイポストマ
横から出ているアレは肢(あし)なの?棘(とげ)なの?
棘です。三葉虫の肢は腹側にあったと考えられていますが、内臓と同様に溶けてしまい、化石として残ることはほとんどありません。
じゃあどうして三葉虫には肢があるって分かるの?
バージェス頁岩動物群から、肢が保存されたごく少数の標本が発見されているためです。
地球の歴史を一年に換算したら、三葉虫は何月何日に出現?そして人類は?
三葉虫は11月15日午前0時ごろに出現し、12月11日午前10時ごろに絶滅しました。最初の人類(ホモ・サピエンス)は12月31日午後11時37分ごろに登場します。
どうして絶滅したの?
三葉虫の生存期間中に、3回の大きな大量絶滅が起こりました。
1回目:オルドビス紀とシルル紀の境界(約4.4億年前)
2回目:デボン紀と石炭紀の境界(約3.6億年前)。この時点で約3割の種が絶滅しました。
3回目:ペルム紀と三畳紀の境界(約2.4億年前)の大絶滅で、三葉虫は完全に姿を消しました。
この際、海洋生物の90%以上が絶滅したと考えられています。
3回目の絶滅原因としては、魚類の台頭による捕食圧、氷河形成による海水塩分濃度の急変、地球規模の海底火山活動などが挙げられています。
化石のクリーニングってどうやるの?
ハンマー、タガネ、サンドブラスター、エアーブラスター、歯ブラシなどを使い、母岩から少しずつ本体を掘り出します。途中でトゲなどが破損するため、ピンセットや接着剤も使用します。
地層からどうやって化石を発見しているの?
母岩をハンマーで少しずつ割り、断面を観察します。断面に糸のような黒く滑らかな線が見えたら、三葉虫の外骨格の可能性があります。母岩を元通りに接着し、そこからクリーニングを始めます。
どうして黒やアメ色があるの?
三葉虫が生きていた当時の体色を知ることはできません。化石に見られる黒色やアメ色は、化石化の過程で鉄やマンガンが付着したり、外骨格が鉱物に置換された結果です。鑑賞性を高めるために着色される場合もあります。
なぜ三葉虫はモロッコ産が多いの?日本にはいなかったの?
三葉虫は世界中の海に分布しており、モロッコ周辺に特別多く生息していたわけではありません。モロッコのサハラ砂漠やアトラス山脈周辺では地層の保存状態が非常に良く、またヨーロッパ向けに化石産業が発展しやすかったことが理由です。日本でも東北地方など限られた地域で産出しますが、カンブリア紀やオルドビス紀の地層が乏しいため、初期の三葉虫は見つかりません。
~ピゲ、三葉虫の名前の由来は?
アステロピゲ、シコピゲなどに使われる「pyge」は「おしり」を意味します。セラタルゲス、セラトヌルスなどの「cerat」は「トゲ」、クロタロセファルスの「cephalus」は「頭」を意味します。






























